久*まこSS No.002

「………っと、こんなモンかな…っと」
 
「何書いとるんじゃあ?」
 
「あら、来てたの? まこ」
 
まこの言葉に、ホワイトボードの裏側からほころんだ顔をのぞかせた久は、
その疑問の答えを解消すべく手招きして呼び寄せた。
 
「今頃は藤田プロの洗礼を受けて、あの子達の中で何かが目覚めてる
 と思ってね。次のステップの準備をしてたのよ」
 
書かれていた文字、『強化合宿』のレタリングの仕上げに余念がない。
きゅきゅきゅっとペンを走らせるその姿は、心なしかどこか楽しげで。
 
(まぁそうなるのも分からんでもないけぇ。この3年間望み続けて、
 願って祈って、それでも叶わなかったものが、花開こうとしとるんじゃ…)
 
麻雀部の扉を叩いてからの2年間、わずかな希望と膨大な絶望を
共に味わって来たまこの胸にも、久と同じ感覚が渦巻いてきていた。
 
「――嬉しそうじゃな。当然と言えば、当然かのう?」
 
「えぇ、これが嬉しくなかったら何を喜びというのか、哲学者に講義を
 受けに行かなくちゃね」
 
肩をすくめてうそぶく久に、そうじゃな、と応える。願ってやまなかった
『全国大会・県予選出場』に手が届く喜び。その大きさは計り知れない
ものだった――――。
 
これまでも入部者は居るには居たが、腰掛けや冷やかし、幽霊部員、
久の逆鱗に触れ除名された者まで居た。
 
それでも腐らず諦めず、地道に一歩一歩進んで来た。まこが入部
した時、久の喜びようはなかった。
 
「今回ばかりは久の粘り勝ちじゃな。存分に待ち続けただけのことは
 あるけぇ。速攻の優希にデジタルの和、その上プラマイゼロ子じゃあ。
 このお膳立ては正直出来すぎじゃけぇの」
 
「あら。『過去局のデータの鬼』が入ってないんじゃない?」
 
「おっといけん、すっかり失念しとった」
 
そんな他愛もないやりとりを続けるのも通例行事だった。端から見れば
どこか熟年夫婦のような雰囲気に見えるだろう。
 
「……でも、まこ。貴女が居てくれて、支えてくれなかったらここまで
 頑張ってこれなかったわ」
 
「…何言うとんじゃあ。正面切って言われるとむず痒くなるけぇ」
 
「ほら、私ってこう見えて部屋の隅で体育座りしちゃう脆さの持ち主
 だし? まこの存在は小さくなかったんだから」
 
「言うてんさい。久ほど飄々としとるんはなかなかおらんきに」
 
ひらりひらりと手を泳がせ、流そうとするまこにゆっくりと歩を進める久の
表情に、いつもの冗談めいた色は微塵もない。
 
 
ただならぬ雰囲気にまこも思わず手の動きを止め、久の表情に目を
奪われる。息を飲む。信じられないものを見る。
 
感情が昂り、目に涙を浮かべ、今にも泣き出しそうな、久を。
 
 
――――見間違いなどではない。だがにわかには信じ難いもの。
 
あの久が人前で涙を見せるなど―――――。
 
まこも内心パニックになりかけ、どう対応すべきか何万局もシミュレーション
するが、こんな状況に経験などなく、打ち上げられた魚のようにあわあわするのみ。
 
そんなまこのそばにそっと寄り添い、肩口に頭を載せて小さく息をつく。
微かに震えているのが分かった。
 
「……みっともないとこ、見せちゃったわね。でも、ね? 少しだけ
 こうさせてくれない? 色々な感情が…渦巻いちゃってるから、
 落ち着くまで、このままで……」
 
声までも涙声に染まっていた。返事は出来なかったが、何とか心を
落ち着かせて、震える背中に手を伸ばし、あやすようにするのがやっとだった。
 
視線の置き場が定まらない。どうしようもなくなり見上げた窓の外、
夏が近い虚空に浮かぶ半月と目が合った。
 
「……まこ。」
 
「なっ、なんじゃ…?」

「このことは……まこと私だけの心にしまっておいて。部長がこんなんじゃ
 示しがつかない…から」
 
ふぅ。とひとつ、ため息。
 
「…あったり前じゃあ。こがぁなこと、言える訳なかろう……」
 
まこの心に去来する様々な感情よりも、久の麻雀に対する思いは
きっともっと大きいだろう。夢の軌道に乗って走り出した速度の
インフレーションに、感情がかき乱されるのは至極当然だ。
 
「今は思うがままにするといいけぇ。これで気持ちが落ち着くなら、
 いつだってわしの肩を貸しちゃるけぇの」
 
うん……うん、と肩口で声無く頷いた。
 
(こんな姿、他の誰にも見せてたまるけぇ……世界で自分だけが
 知ってればいいんじゃ……)
 
暫し思いを涙に溶かし、心のままに感情を露わにした久、
言葉少なくそれを享受し、しっかり受け止めてやる。
共に歩んで来た道のりを思えば、この役目はまこにしか出来ないであろう……。
 
 
「…どうじゃ? 部長の顔に戻れそうか? そろそろ優希と京太郎も
 戻ってくる頃じゃ。いい加減落ち着かんと真っ赤な目を晒すことに
 なるけぇ」
 
耳元で諭すように、部長の威厳を呼び起こしてやる。後輩達に
情けない姿を見せない為もあるが、こんな久を自分だけで独占したい
気持ちの方が強かった。
 
「…………なぁ。強くて策士な竹井部長を続けるのに息切れしそうに
 なったら……いつだって肩を貸しちゃる。それが出来るのはわしだけじゃ」
 
「……ん」
 
顔を上げた久の目にはもう涙の色はなかったが、信頼し切った安堵の
表情が色濃く残っていた。その、年相応の女の子な様子に、目眩に似た何かを覚えた。
次の瞬間、深く深く抱き締めていた。
 
「ちょ、ちょっと、まこ……?」
 
「大丈夫じゃ。いくらでも支えてやるけぇ。―――――だから」
 
清澄を引っ張っていってくれ。その言葉に目を閉じ、薄く頷く。
 
月明かり差し込む部室で溶け合う影がひとつになる。
思いを共に突き進んできた者同士、今までとこれからを
形にすべく、結果を残すべく、改めて絆を強く結び直す――――。
 
並んで歩んだ道の、先を見続けるために。
 
 
 
ーENDー

 

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